F Conexion 22誕生ストーリー

『俺、海外の高校に行くわ。向こうでサッカーしたい』

こんな長男の一言から始まった私たちの事業。
ここに至るまでのストーリーは、苦難の連続と、過去の独り善がりな熱血サッカー親父・熱血サカママとの決別がありました。

-熱血時代-

長男は幼少期からフットサルを始め、小学3年生からはサッカーチームに所属、本格的にサッカーを始めました。
4年生、5年生と学年が上がるにつれ週末は、試合、試合、遠征、試合、練習、遠征…もちろん週末の予定はサッカー次第。
まさにサッカー一色の生活を、時には苦痛に感じながら、でも我が子の成長に喜び、私たちは、とても充実したときを過ごしていました。
そう、私たちは、熱血サッカー親父・熱血サカママでした。
が、その実態といえば、試合で自分たちが思い描くようなプレーができなければ罵声を浴びせる。試合の送り迎えの車中は説教、説教、説教の連続。
まさに、昭和の根性論でした。
その時はこれがベスト。これが必要だと本気で思っていました。
これが子供の夢を応援することだと、本気で思っていました。(淡白な親御さんをみると、それでは子供は伸びないよ、とすら、内心思っていましたから)

-異国でプレーするということ-

彼が小学6年生の時に、私たち(父親)の仕事で海外に行くことになりました。
今の仲間と最後まで一緒にいたい、今の学校で卒業をしたい、と初めは海外に行くことを嫌がっていましたが、幸運なことに、私たちの周りにいた良き仲間に「このチャレンジは必ず人生の可能性を広げる良いチャンスになる!」と背中を押され、家族と一緒にシンガポールに飛び立ちました。
最初は異国の生活に慣れることを優先し、現地で運営されている日本のクラブチームに加入。
中学進学に合わせ、本人の強い意志により環境を変え、レベルを上げて、現地で1、2位を争う強豪のローカルチームに移籍し、初めて「英語」環境の中でプレーすることにチャレンジしました。
入団試験合格後に待っていたことは、
・    パスが来ない!
・    チームメイトの輪に入れない!
・    試合に使ってもらえない!
(もちろん、息子はプロではないが、)海外移籍したプロサッカー選手が経験談としてよく語っていることそのものを経験しました。
一年近く満足に試合に出られない状態が続きながらも、腐らずに彼なりの工夫と努力、そしてここでも周りからのサポートもあり、少しずつ認められるようになり、異国の地でサッカーを楽しむようになっていきました。

-コントロールから尊重/応援へ-

少しずつ異国の地でのプレーを楽しみ始めた頃、チームでマレーシアの遠征に行った際に、陽気なイタリア人エージェントの目に留まり、イタリアのチームにトライしてみないか、と声を掛けていただきました。
彼はとてもクレバーなプレーをする選手だ。周りに比べて身体が小さいからこそ、頭を使うことに長けている。ぜひ海外に挑戦してはどうか?
え?イタリア?
子どもだけでいけるのか?
今まで歩んできた人生というレールの延長では想像だにしない出来事。
私たち親は完全に思考停止状態。
好きなサッカーでチャレンジしたい!という息子と、これまでの“常識”から外れたことをなかなか受け入れられない親。
そんなとき、チームメイトのお父さんから、
「エージェントとコンタクトしたのか?彼には可能性があるから早くコンタクトした方がいい。うちの息子はセレクションを受けるために2ヶ月後にイタリアに行くんだ」
と言われ、えっ!!そんな簡単にイタリアに行っちゃうのか‥.!
呆気にとられはしましたが、ここに至るまで息子自身のひたむきな努力で、異国の地でここまで来たのは事実。
もう、親がコントロールできる域を越えている。
もう、親が口出しできる域を越えている。そう思った瞬間でした。

-夢を実現するということ-

Perfect!を連発する日本好きの陽気なイタリア人エージェントと連絡を取りながら、私たち親は覚悟ができないまま、取り敢えずトライアルの道を少しずつ模索しました。
結局、候補に挙がっていたチームの運営に問題が発生し、この話は夢物語に終わってしまいましたが。
所属していたチームでは、恵まれたことに、半年に1回はヨーロッパ遠征があり、ポルトガル、スペイン、セルビア、チェコの現地チームと対戦する機会に恵まれました。
そのような経験を通じて、ますます彼の中で高まる
「海外でプレーしたい!」
という想い。
コーチと相談する中で、チェコのチームにトライする話が持ち上がり、今度は東欧の中でも歴史ある街の一つであるプラハを徹底的に調べることに。
自動車産業を中心に日系企業が多く進出しているので、日本人学校があり、インターナショナルスクールもある。
何と言ってもビールが水より安い!
西欧に比べると馴染みがないので不安感は拭えませんが、もうこうなったら、
えいや!トライアルにチャレンジだ!
その時すでに中学三年生の6月終わり。周りの子どもたちは塾に行って受験勉強に大忙し。
息子も日本の高校に進学するため、夏期講習の申し込みは済ませていましたが、
本当に受験するのか?
何のために勉強するのか?
将来のこと。勉強する意味。を15歳なりに真剣に考え、親も悩み、出した結論が、海外でプレーするでした。
一方で、チェコに関する情報収拾は順調に進んでいましたが、肝心要のトライアルの調整を任せていたエージェントにメッセージを送っても、送っても、返信がこない日が続きました。
音信不通…
このままエージェント頼みでチェコの話を待つか、それとも…
息子が決めた答えは、
自分が本当にやりたい事を自分が選んだ場所でやる。道がなければ自分で切り拓く!
バルセロナへの留学・移住がここで決まりました。

-経験したからこそお伝えできること-

国際サッカー連盟(FIFA)の規定では、18歳未満の子どもが単身でサッカー留学する事を認めておらず、親と一緒に居住して生活している場合に限り、外国人は選手登録が認められています。
つまり、サッカー留学は“家族移住”を意味しているのです…
この時点でもちろんバルセロナ留学が成就する保障は何もありません。
チームも決まっていなければ学校も決まっていない。もし決まらなければ…
本当は怖い。
上手くいかなければどうする?
他人からどうみられる?
そう思うのは、その時点で他人軸だということ。
私たちは当初、この厄介な「他人軸」と恐怖を捨てきれない状態でした。
しかし、いまお伝えできることは、人生の主人公は紛れもなく「自分」であり、「自分」がワクワクすることは何か、何がやりたいのか、「自分」はどう歩みたいのか、を大切にするということです。
それを考え、決め、進むことが<自分の人生を生きる>ということ。
私たちはそれを改めて息子から学びました。
きっとその先には、苦しみも悲しみも喜びも楽しさも詰まっているかもしれませんが、何よりそれが「幸せ」に繋がると私たちは確信しています。
なぜなら、私たちはすでにハッピーだから!
まだ見ぬ未来にワクワクできるのは、家族一丸で同じ方向を見て、かつ未来の自分たちを見くびっていないから。
未来は「いま」から繋がっています。


どんな未来を生きる?
そのために「いま」どうする?
どうしたい?
それをとことん考え、決め、宣言し、進むこと。
これが夢を実現することの第一歩だと私たちは思っています。


“F Conexión22”はこんな紆余曲折を経て、産声をあげました。
大好きなサッカーと家族、親子の絆を深め、
よく考え、しっかり動き、挑戦を厭わず、『世界を舞台に活躍する子どもを育てる!』をミッションに、「今」と「未来」を繋げていく伴走型のサッカー未来創造アカデミー F Conexion 22は、
『学ぶ』『成長する』『渡航する』のサポートをしてまいります。

さあ、ここから一緒に始めましょう!

代表挨拶

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